最近思い至った事。何かにぶち当たった時にまた戻ってくる場所として記しておきたいと思います。

僕は「合理的」である事が大好きです。論理的に正しいという意味での「合理」的もそうだし、効率が良いという意味での「合理」的についてもそう。国語辞典を紐解くと両者の意味がありますけども、僕は後者の意味で使う事が非常に多いです。

ここしばらく「人生の合理性」って事を考えてました。

合理的に生きるとは何か。そんな言い方をすると何だか人生を打算的に生きるふうで気持ち悪りっ!て思われそうなのですが、そこは言い方の問題。ようは、有期限の人生(人はいつか死ぬ)で、自分が欲するモノや状態を効率よく手にする為に自分はどうあるあべきかっていう問いかけ。他人を巧く使ってどうこうとか狡猾であれとかそういうのではありません。

 

考えはじめは、自分の将来についての思い巡らしから。自分が欲するモノは結局一体なんだろう。結局どういう状態を将来得ていたいんだろうか。そう言えば起業して7年、ガムシャラにやってきましたが真剣に考えた事も無かったのですよね。単に考えていなかったのか、考える事を避けていたのか、恐れていたのか、幸せとか成功とか、そういう聞こえの良い事を掲げて幸せになりたいなーとか言ってただけなのか、今となっては分からないですが、改めて今、考えに考えてゼロベースで自分に問うた時、その答えは

やりたいビジネスをやりたい時にやりたいように愉しんでやれている実業家

だったのです。ホントこの一文につきるなと。

この言葉の裏には手に入れたいものやりたいことが山ほど潜んでますが、結局はこの一文に収斂してきちゃうんですよね。考えても考えても。50歳で引退したいとか毛頭無いんです。子供を作って幸せな家庭生活を…的な普通(?)の発想も(奥さんにはゴメンナサイだけど)全くもってありません。皆無。死ぬ直前までビジネスしてたい。仕事をしてたいじゃなくて、ビジネスを愉しんでたいってのが正しい言い方ですね。ジャンルを問わず沢山のビジネスを持っていて、経済価値の創出に喜びを感じる日々。プロジェクトのしめに関係者を労うメールを入力しきってエンター!ぱーん!で送信と同時に微笑みながら息絶えるとか最高…ってまぁこれは冗談ですが(笑)

結局の所、僕はビジネスがしたい人間なんちゃうかと。

世にないものを作るとか、世界を変えるとか、お客様を喜ばせるとか驚かせるとか、有り難うを沢山集めたいとか、社会貢献したいとか、理想の就労環境を作るとか、色々あるにはあります。でも少し視座を高めて俯瞰すれば、いずれにしても結局ビジネスでそれらを実現したいんだって気がつきました。上位の基底クラスにビジネスがあったっていう概念なのかなぁ。僕は元々開発者だけど「開発をしたい」はもはや無くて、作りたいのはビジネス。ビジネスは更なるビジネスを生むので、目的であると同時に手段でもあるのかも知れません。

極端な話ビジネスは何だって良くて、今たまたまiOSアプリ開発なるビジネスなだけ。そう捉えると最近の自分の言動や思いや考えに合点がいきました。iOS以外が関わるビジネスも良いですし(こだわりよりビジネスを優先したので子会社としてSYNCNEL(株)を作った)、それこそIT以外にもやりたいビジネスがあっても良いし、というか実際にやりたいと思っていたり、やりかけているものもあるし、街中で何を目にしてもビジネスの事しか考えてないんですよね。ビジネスをガッツリしっかり誠実に愉しく手がけまくりたい。今はまだ全然ですけど。

別に金の亡者という訳ではなくて、お金は、やりたいビジネスをやりたい時にやりたいようにやる為のツールぐらいにしか考えてません。ホリエモンこと堀江さんも確か同じ事を仰ってますね。

ただまぁ今の僕は、やりたいようにビジネスが出来てるかというと全然そんな状態ではないのが実状で、イメージしてる未来像との差は物凄く大きい訳です。でも一つの像(イメージ)を頭の中に思い浮かべられて明文化できた今、なすべき事が見えてきた感じはします。

一つにはそのイメージをもっともっと強化・具体化して現状との差を浮き彫りにして自分に認知させること。そしてもう一つには、最短で合理的に差分を埋められる道を歩む努力をすること。

 

ここで冒頭の話に戻ってきます。

もう漫然と生きてる場合では無いなぁと。平均寿命の半分ぐらいは生きてしまいましたからね。ただ何となく『「幸せ」や「成功」を掴めたら良いな』的に過ごすのはやめ、頑張ればこの先もっと報われる〜的に漫然と時を過ごすのも終了。だって今そもそも普通に幸せですしね。自分はもっと具体的な将来のイメージを具現化させる為に動かなくちゃいけないなと。

人生が「漫然と生きる人生」か「合理的に生きる人生」かに二分されるなら、僕は常に後者でありたい。売上10億目指すといった今の延長線上から逆算するんじゃなく、自分のやりたいと思うビジネスをやりたい時にやりたいように愉しんでやれる実業家という、現状より遙かに高い自己の将来イメージから逆算し、そこに到達するための人生の合理を追求していきます。

世にないものを作るとか、理想の就労環境を作るとか、僕に関わってくれた全ての人が富を得られるエコシステムが良いなとか、社会貢献とか、それはそれで追求すべきテーマではあるのだけどきっとそれらは結果論であって本質では無い気がしてきた昨今です。