僕の好きな本に故ドラッカーの企業とは何かという書籍があります。2,3回は読み返してるでしょうか。原著初版の1946年から数えるともう60年以上も前の本なのですが、この書籍が述べている事は全く色褪せておらず今の時代でも通用する、いぁむしろ今の時代こそ行動指針とすべき考え方だと僕は感じていてバイブル的に手元に置いています。
企業の定義は言葉的には「経済活動を営む組織体」となるのでしょうが、企業を論ずる際に必ず付きまとう社会的な側面、つまり、経済的価値を提供したり雇用を創出したりする事による社会貢献だとか、社会的責任(CSR)だとか社会の公器だとか、何かそういう言葉は凄くありきたりですし上澄みだけの空虚な説明に思えて僕は余り好きではありません。
まぁ、要するに普通が嫌いって事なんですけどね。そんなヒネクレ者の僕にとって「企業とは」はもっと「人」ありきな発想でして、
企業とは個人の能力をboostする組織である
と考えています。知的生産産業であるIT業界では特にそうでなければならず、いみじくもドラッカーは亡くなる1年前にIT革命と同時に知識労働者の主役化が起こると言っています。
当たり前ですが、主役が成長しない物語ほど面白くも無いですし感動すらありません。これと一緒でスタッフが成長しない企業ほど面白くない企業は無いでしょう。そんな会社は経営してても面白く無いし、お客様が感動する筈も無く、外から見てても中のスタッフの事をこれっぽっちも羨ましいとは思えない筈です。そんな会社、入りたくもない。
興味深い事にそういった企業の多くは労働集約型の産業に属しており、スタッフは利益を生み出すだけの「パーツ」に過ぎない事がほとんどです。知的産業とは名ばかりのブラック系IT企業も同様でしょう。
組織は、組織内の才能と能力を発掘し、主体性を奨励し、能力を発揮させ、成長させるとともに、これに社会的経済的地位をもって報いなければならない
これは冒頭に紹介したドラッカー本にある、企業を統べるリーダーの責務を論ずる章の一節ですが、まさにコレこそが経営者またはマネージャたる者の使命であり、同時に企業の役割を規定するものであると思います。

企業またはそれを動かす経営者やマネージャは、言ってみればその為の現場監督であると同時に脚本家でもあり演出家でもあり、時にはADにすらなるべき存在なのかも知れません。知識労働者である個人が次々と能力的な NEXT STAGE に上がっていけるように…です。(とは言っても知識労働者側が思い上がってはいけないし、無論成長しなければならない)
その為の機会創出と個人能力の向上を経て、社会的経済的地位つまり「報酬」という形で文字通り報いる事の出来る企業こそが理想的な知的生産企業な筈です。僕は自分の会社をそういう企業にしていきたいと思っています。だから、最近の
といった記事を見ると、結果として得るべき社会的経済的地位が前面に出ている労使関係を凄く残念に感じるんですよね。僕も元開発者なので分かりますが、それはきっと楽しくなくて長続きしないと思います。特に成長を志す人ほどお金の為だけの仕事をつまらないモノと感じるからです。
とか何とか大きな事を言ってみた所で、僕はじゃぁ社会的経済的地位を経営者として十分に提供できているかというと、(決して悪くはないかなと思っているものの)まだまだ全然と思ってます。ホント全然。もっといかなくちゃ。能力をboostさせる機会や環境は創り出せてるという自負はありますが。
そこで思い切った方針転換をして、機会や環境だけでなくその先の社会的経済的地位の提供を担保し得るストック型や未来創出型の事業に注力しようと決めた訳ですね。それが「SYNCNEL」と「Book+」という二つの新事業だったりします(これがどんな風に社会的経済的地位で報いるのかを論ずるのは、長くなりそうなので別の機会にしましょう)
ま、以上の論説はあくまで5年少々の経験しかない新米経営者の僕の考え方に過ぎないので、一度機会あれば色んな方々と「企業とは何か?」という議論を交わせてみたい今日この頃です。いずれにしてもドラッカーが 書いている通り、企業とは人間組織である事に間違いはありません。知的産業においては特にそう言えるでしょう。
企業とは個人の能力をboostする組織である
僕なりのその企業論をこれからも貫いていきたいと思います。人生36年、経営者として5回目の誕生日を迎えた今日、そんな事を考えていました。