世間が長期休暇に入る時は概ね長考の機会としています。このGWの後半は特に考える事に終始しました。法人とは何か、幸せとは何か、富とは何か、お金とは何か….を改めて。その過程で経営者として自分の考えを今一度整理できたので、何故今の経営スタイルに至ったか記しておこうと綴ってみたらエラい事になりました。めちゃ長です(笑。恐らく本ブログ史上最長)

Rent Day © 2012 Damian Gadal, Flickr

 

■ お金が無くて幸せか

経営者になってからお金を意識する事が多くなったのは、ただ単に会社のBS/PL/CFを財務的に意識しているからだけでなく、成功された方の話を見聞きしたり直接その考え方に触れたりする事が多くなっているからだと思います。言ってみれば「お金が全てである」と言っても誤解する事のない方々(その真意を理解されている方々)や、お金が好きな方々と接する機会が増えたから…という事でしょう。

とかく日本人には「お金=悪」という公式が頭の中にあって、これは拝金主義という言葉で代表されるようにメディアの積極的な揶揄が野放図にされてきた事と、その成果(?)なのかお金の教育について怠慢を犯してきた文科省をはじめ教育業界に責任があると僕は思っていますが、みんな実はお金が欲しいのにお金の事を言い出すと途端にnegative感情をブツケたがるんですよね。お金儲けは悪い事的な。これが、ホントに分からない。

そして森永卓郎らの「年収300万円でも幸せに生活できる!」的な書籍に慰みを得て、実は彼らが一番儲けているというカラクリに気が付かない…というか、気が付かないフリをする。僕はこの種の「お金が無くても幸せだから!」を煽動する方や「金で買えないものもあるんだから!」論に同調する方とのお付き合いは旧友を含めて積極的に切ってきています。その価値観は「ウソ」だと思うから。

 

■ お金→選択肢→幸せ・成功

「お金が全てである」という言い方が誤解を招く場合、僕は「お金は全ての事象で常にBetterな選択肢を提供してくれるツール」と言い換える事があります。人生がその人の「選択」によって織り成されるとするならば、その「選択」を常にBetterにしてくれる「お金」は全てにおいて非常に非常に大切な筈です。Bestではないかも知れない、根本的な解決にはならないかも知れない、でも常にBetterな選択肢が「お金」によって絶対に得られます。例外はありません。なぜなら世の中は未だ資本主義経済で成り立っているから。

総中流から二極化へ構造的変化が如実に顕在化している中、その極を決定づけるのは紛れもなく選択肢の有無や多少です。前者(有や多)が良いのは間違いなく、それはお金に依るのだと資本主義は言ってます。であれば、多くの選択肢を求める事とはつまり「お金」を追求する事であり、「お金」なき選択肢の多彩化を試みた所でそれは単なる妥協や諦めやゴマカシに過ぎません。

何の意思決定も出来ないレール人生(つまり選択肢がない人生)が幸せな特異な人を例外とすれば、人生で幸せを感じられる確率が選択肢の数に依存するって事は誰しもが持ってる感覚だと思いますので、ここに「お金→選択肢→幸せ」という論理が完成します。「幸せ」の追求とは「選択肢」の追求であり、資本主義こそが是と結論づけた今の世の中においては、これすなわち「お金」の追求に他なりません。

随分前のエントリで「成功とは選択肢の多さでありそれを担保するのが金である」と書いた事があります。成功を幸せと読み替えた方が分かり易い場合もありますが(幸せが先か成功が先かは人に依るのでここでは言及しない)、この定義は論理的に考えれば誰が何と言おうと常に真です。突き詰めれば、幸せの多くはお金に依存している。

 

■ 法人と個人

で。

これを踏まえて僕は経営者(=雇用者)になってからずっとある挑戦をしています。

多くの人が企業に属して生活給なる給与を得て生計を立てるこの時代に、小社会とも言える「会社」という器を使って個人の幸せを追求するという試み。IT業界という極めて限定的な世界ではありますけどね。経営者だけ…とかではない偏りのない享受が出来ないかという挑戦。僕が執拗なまでに雇用について考えたり、自分の会社経営を社会実験であると表現しているのはその為です。

雇われ人の幸せとは、完璧なワークライフバランスが実現していて、尚且つ「ライフ」の基盤となる給与が人生の多彩な選択肢を与えうる程に多い事業体に属しているという事でしょう。IT業界的に言えば、エンジニアとして充足感があり時代に則した開発スキルの体得とキャリア形成が出来て「ワーク」は充足しており、プライベートな時間もあって更に十分な「お金」もあって「ライフ」も充実している….そんな小社会。そこにはもちろん経営者個人の幸せも含まれています。

そんな事は本当に可能なのか? → (僕の解)「やってみないと分からない」

弊社の「ワーク」の部分、つまり開発者にとって理想的な環境づくりは過去に幾つか御紹介した事があります。

エンジニアの「気持よく開発が出来る」という評や、「無理やり捻り出すとすれば」という枕を付けなければ開発環境に対する不満が出てこない事や、何より離職率ゼロである事などが、少なくとも弊社「ワーク」環境の整備施策が間違っていない事を示していると今のところ考えています(…が経営者としてこれに慢心してはならないと肝に銘じてますが)。

これは以前も出したイラストですが、Productivity はエンジニアにとって「ワーク」充足の、Monetizability はエンジニアにとって「ライフ」充実の、それぞれ基盤になっていて、今回の「お金」の話はまさに後者の方で、僕が経営者として飽くなき追求をしていくと宣言しているモノでもあります。

法人による富の追求が、属する面々に波及して全員が(ここ重要)「お金」の多さに裏付けられた「選択肢」の多彩化で「ライフ」を充実させられれば、社会的幸福量の増大にはそれが一番合理的にきまってます。企業に10人集まってるとすれば、1粒で10人同時に美味しい…を実現する富の増幅器

会社とお金(儲け)の2つのキーワードが出てくると、すぐに上場(IPO)だとか売却(BuyOut)という話を始める方がいますが、これは僕の考えとは異なります。いずれの手法もお金を得るのはほぼ経営者のみである事が大半で合理性がないから。現場エンジニアにストックオプションが付与される事もままありますが、多くの場合ニンジンはやはりニンジンでしか無い事が多くの事例で証明されています。仮に巧くいって恩恵を受けられるとしても一部のスタッフだけで全体の数%では全然合理的とはいえません。IPOは収益性不明瞭ながらスピードとスケールが重要な事業に限られるでしょう。BuyOutも結局は一緒。

究極の法人とはきっと、そのいずれでもなく、自ら提供する価値で従業員の数だけ富を増幅させ分配できる組織なのでしょう。

 

■ 富の増幅と分配

例えば、月収176万。

これは日本国内で「富んでいる」と言えると僕が勝手に思っている水準です。根拠は大した事はなくて源泉徴収税額表の上限でして、176万を越えた途端に源泉所得税の細かな定めがなくなるからです。ここから、所得税・厚生年金・健康保険分を天引きするとざっと120万ぐらいの手取りで、周回遅れの住民税を天引きしても年間にして現金が1000万超えで入ってくる計算。属する個人が皆これなら富んで…ますよね?

余談ながら、何度死んでも使い切れないお金があると仰ってる、僕が尊敬する元HUGO社長の冒険家加藤さんによると月額手取り300万円以上が「お金」の心配を一切しなくてよくなる水準(つまり「選択肢」が無限にあると感じれる状態)だそうですが、その額になるともう明らかに「富裕」の層に近づきますよね。1年で普通の家を1軒買えるキャッシュを手にするのに等しいし、1年で1人の子供を成人させるのに要する諸費用合計を賄い得る収入です。

いずれにしても途方もなく高い水準ですが、こういった水準を達成出来る法人を、基本残業無しで、有給取得は自由で、キャリア形成も出来て、社保も完備で、開発に専念する環境もある…という組織として創りあげられれば、完璧で非の打ち所が無いワークライフバランスを達成した究極の法人と言えると思ってます。

ただ、普通に考えて無茶やんとツッコミが入る水準なので難しい(というレベルではない)のは確かでしょう。なので、少しでもこの水準に到達できるよう社内制度的に色々と工夫をしている訳ですね。副業を認めるというか推進しているのはまさにその一例で、エンジニアがこの水準近辺に早く到達できるように考えているからでもあります。(複数の収入源がある方が水準達成し易い)

他に、毎月の給与に案件毎に数%の案件報酬名目の加算をする制度があります。スポットでも継続性ある事業でも例外なく。特に後者の継続的事業への適用が重要で、もし仮に月額課金制の自社サービスがあれば収益(ここでは人件費を除いた営業利益)の数%が毎月エンジニアの給与に加算されます。毎月、毎月です。これ、言葉を変えると「昇給」なんですよね。

例えば1%だとしましょう。もしある弊社サービスで月額100万円の営業利益を上げていたとすると、担当エンジニアの給与は毎月1万円プラスされる事になります。個人の毎月1万円相当の昇給は大きいですよね。人生の「選択肢」は確実に増えます。もし当該サービスの御客様が増えて営業利益が増えれば1万円は2万円、4万円になるかも知れません。もし月1000万円ならプラス10万円です。1億円ならプラス100万円です。こんな事業が幾つかあったらどうですか。ほら、「富んでいる」水準に近付くイメージが湧いてきました。…ってまぁ月間1億の営業利益って超絶難易度高いですがね(苦笑)

とは言え無理だと言えば何も出来ないし難しいとばかり言ってもいられないので、僕はこういう具体的な数値イメージを将来に見据えながら理想像に近付く事を意識して会社を経営しています。先は長いですけど。もしこれが実現出来たなら、IT業界に限らず他の業界でも同じ事が出来るかも知れません。究極法人の量産。そんな会社をもし沢山作る事が出来れば、世の中もっとhappyな人や家族が生まれると思いませんか。まさに富の増幅です。

 

■ 搾取でもゼロサムゲームでもなく錬金術

ただ。

「お金」の稼ぎ方は物凄く重要で、法外なボッタくりや詐欺をしてまでの収益はダメです。輸入物なのに国産ラベルを貼ってみたり、AIJ宜しくパフォーマンスを偽ったり、AmazonのCDPを満たしてもいないのにクラウドサーバを謳うインフラ業者もそうですね。あと、回りまわって誰かが同額の損失を出してるようないわゆるゼロサムゲーム的な事業もなるべく避けたいところ。株の短期売買とか、通信事業のユーザ取り合いとかがそうですよね。

一方、新しい技術や世にまだ無いモノの類は新マーケットを生みだす可能性を持っています。そこで上がる収益は搾取でもゼロサムでもなく、これまで収益が存在しなかった領域で上がる収益なので、無から有のアプローチ。新しいマーケットの創出は社会全体を見れば錬金術なのです(全てではない)。僕が、新しい技術や新しいアイディア、あるいはまだ世にないモノの開発に固執している理由はここにあります。新しいマーケットや新しい価値を収益根拠にする稼ぎ方が一番美しいと思うんですよね。

だから弊社の場合、目下はiOSを始めとする新しいマーケットで、まだ世にないモノを提供し続ける姿勢は変わりません。まだ新しいモノは作れると思っていて、既に開発中のものも含めて今年はあと3つ程、全く新しい事業を始めようと思っています。1つはiOSデバイス側に重きを置いて無かったりしますが。

 

■ さいごに

法人とは何か幸せとは何か、お金とは何か。GW中に今一度自分が会社をやる理由を思い巡らして整理してみた次第です。一応、筋は通ってると自分では思ってるんですけどね、どうでしょうか。変わってるかもだけど。

誰しもが幸せや成功を手にしたいと心の奥底では思っている筈です。僕もそうです。その為に必要なのは紛れもなく「お金」であり「選択肢」であり、それを追求する事は決して恥ずべきことでも悪事でも無いと思っています。そこに誠実さがあるのなら。

僕は法人の経営者として、それらを一度により多くの人間が享受出来る合理的な仕組みとして企業という器を使った実験を行なっています。超合理的な富の増幅は成しうるのか、富の追求をしながら法人と個人は共生し得るか。無論、実験の成否は分かりません。でも少しずつ近づいてきている気がするのは確かです。あと1年か、3年か、5年か、10年か。それは分かりませんが、理想郷の追求をまだまだ続けたいと思っています。