僕はかなり変な経営者です。自分で言うのもおかしいけど。会社経営については特に当たり前と言われている事やタブーとされている事を「そういうものだから」というだけで考察なく従う or 取り入れる…のは「負け」だと思っていて、それが原因でウチは相当変な会社です。

その最たる例は、副業に対する考え方でしょう。たいがい弊社の取組には驚かれる事が多いのですが、一番ビックリされるのがこの副業について。それは無いわ〜って感想を貰う事もしばしばな僕の考え方を今日は書いてみようと思います。

ウチは全然副業okで、むしろ推奨しています。

禁止規定なんてありませんし「自分で会社作ったら?」って社長である僕が冗談交じりでエンジニアに言ったりする事もあります。御存知の通り弊社エンジニア@itok_twitは自らも個人のiOSアプリクリエイターとして活躍しており、PictShareやiPictureという有名なソフトウェアで結構な収益を得ています。「結構、売れてるんちゃう?」「そうなんですよー」って会話が社内で普通にあったりもしますしね。もちろん同じ弊社エンジニアの@kumatchにも@nakiwoにもプライベートな収益を考えた方が良いよ的な話を何度かしています。

副業して貰って構いません。

日本全国探してみてもこれを公言できる経営者はそうそういない筈です。禁止規定を設けている例が圧倒的に多い筈ですし、仮に禁止規定がなくとも暗黙のうちにそれを認めないとする事が多いし、そもそも雇われる側も認められないだろうと普通は思ってます。副業って何となくヤマシい感じで捉えられる事が多くて、大半の労使関係は明文化されてるかどうかに関わらず副業禁止という前提で成り立ってます。

僕はそこが不思議でなりません。なぜなら「そういうものだから」だから。考察が無いから。

だから敢えて否定してみるんですよ、普通であることを。ウチは副業okですと。その上で論理を組み立ててみて確からしいのなら普通が間違っているかも知れないと考えます。この手法で考察してみると今の僕には副業NGは正しくないという結論しか出せないんですよね。だからウチは副業okですし、どうせなら更に突っ込んで副業推奨です。

真っ当な人事/労務コンサルに言わせれば有り得ないでしょう。社員に副業推奨とかおかしいですよね。雇用してあげてるんだから会社に尽くしなさいよと、信義則でしょと、それが普通でしょと。でも普通とか社会通念とかって時代と共に正しくなくなる事が多いのです。ガリレオの例を出すまでもなく。

© 2012 Allie Kenny, Flickr

副業の「普通」の正誤については「生活給」と「終身雇用」という言葉がヒントになります。給料が生活給と呼ばれ終身雇用が当たり前とされていた時代には正しいと言えました。でも、

  • 真っ当に生き残れる子を育てる事が超コスト高な時代(一人あたり3000万円〜)なのに
  • 終身雇用を宣言する事はもはや出来ず幻想に過ぎない事が明らかになっている時代なのに
  • 派遣という言葉遊びで人件費カットしながら労働力は確保する事が横行している時代なのに
  • 生活水準が上がりきっちゃって「生活」させるに足る給与を生涯保証する事が難しい時代なのに

何故堂々と禁止が出来るのか。時代錯誤も甚だしい。裁判所の判断(判例)においても禁止条項が有効な例は非常に少なく例えば、半ば肉体労働のタクシー運転手が就業時間外に別の肉体労働をして本業の質が落ちた…等の「副業」が「主業」を明らかに毀損している場合に限られます。それ以外は原則法解釈的には無効。という事実がありながら就業規則に禁止規定を掲げる事の無考察ぶりに僕は凄く違和感を感じるのです。(ただし公務員とかは別。公務員法に明確に禁止する条文がある)

信義則を謳うなら文字通り「生活給」「終身雇用」でなければいけない筈。でもそれは無理って事が企業視点でも自明になっている訳ですから、もう一度考え直さないといけないのです。で。辿り着く論理的着地点はただひとつ、原則副業okしかありません。だって企業が被雇用者の全てを満たす事は出来ないのですから。副業禁止が論理的に正しくなるのは、給与を家族構成の変化や物価変動などに手当も併せて連動させて且つ「終身雇用」を約束し果たせない場合には何らかのexcuseが出来る企業だけです。だって、先の生活を保証したり必要な給与を出すって事が出来ないのに他の収入は得るなって無茶な話がありますか。

副業禁止を是とする人から「もし本業に類似した副業なら情報漏洩ってリスクがあるでしょ」っていう意見を頂く事もありますが、これもおかしい。社員との雇用契約においては秘密保持契約を締結しているのでそもそも漏洩に対するリスクヘッジは雇用した瞬間から出来ている筈なのです。その上で、でもやっぱり漏えいするかも知れないから副業禁止なんですよ…ってのは被雇用者への不信でしかありません。じゃぁ人事権を持ったあなたは、そんな不信を抱かざるを得ない人を雇ったのですか、あなたの人を観る目はその程度ですか?ってなる。実は禁止規定の存在が経営者や人事担当の能力否定に繋がるという罠。禁止条項を就業規則に入れる企業はこういう考察をしてないんですよね、多分。

「仕事は命を削ってでもやって貰いたいしそうすべき」っていう精神論的意見もありますが、それは雇用契約に明記された就労時間中の話であって就労時間外の話ではありません。それを期待するのであれば役員に昇格させて自己の働きと手にする対価が直結する経営の立場にポジショニングするべきですし、そんな事よりそもそも会社で定める就労時間を越えた労働だけが生産量のUPなのかって事を考察した方が良いです。僕らIT業界のような労働が知的生産活動であれば尚の事そう。

Networking © 2011 IM Williams, Flickr

雇用契約とは何か。

それは当人の時間(労働)や能力を購入するって事です。継続的な使用権の購入契約です。極めてシンプル。だからその契約の及ばない部分については契約から得られる価値が毀損される事が明らかでない限り関与すべきではありません。むしろ会社はその購入行為によって得られた「労働」が価格に見合っているかを常にwatchする事、そして契約の範囲内で価値を価格以上に最大化する工夫にこそ注力すべきなのです(搾取するという事ではない。労働が価格以上の価値を生み出すようになれば労働の価格は上げられなければならない。なぜなら「人」だから。もっと言うと労働時間の長時間化が価値を最大化する訳ではない事にも気づくべき。なぜなら「人」だから)。

ライフスタイルが多様化する中にあっては就労時間外の使い方は人それぞれですし、個々人の環境や境遇も千差万別ですし、技術の進化でフラット化してしまった今の御時世においては副業の選択肢も多様にあってその理由も人それぞれな訳です。色んな前提が崩れているのだから考え方も変えなくちゃ。

もし副業の理由がお金というよりも自己の成長だった場合には、むしろ推奨した方が良いかも知れませんよ。マネジメント能力が高まるのなら会社組織運営にも活きるかも知れませんし、技術的スキルが高まるのなら会社の生産力向上にも繋がる訳です。お金を払う習い事で得るスキルの持ち込みはokで、お金を貰うプライベートワークで得たスキルの持ち込みはNGってのは意味が分かりませんし、明確な線引きは出来ません。唯一の線引きは先のタクシーの例にあるように『「副業」が「主業」を毀損するかどうか』だけで良いのです。副業が本来主業で生み出しえたであろう価値を少しでも低下させるならそれはNGってことで、是正が図られないのなら契約破棄を意味するだけの事です。

長々と書きましたが、これが僕の考え方です。

弊社が副業okを(黙認ではなく)公言するのは、上述の毀損が発生する事はまず無いと信ずるに足るメンバーで固めているからです。だから不特定多数に向けた求人ってやらないんですね。何かの縁で繋がりを持てた人が信じるに足るかをとにかく色んな視点で観る事から始まって、これぞ!という人にしかjoinして貰いません。そしてその判断に僕は自信を持っています。

気付かれた方もおられると思いますが「信じる」経営は関係性の希薄化が致命傷になるので規模をスケールできないデメリットはあります。でも、それで良いと思ってます。僕は会社の人数規模を過度にスケールさせる意図は全く無くて、どちらかというと量よりも質のスケールを考えて会社を経営しているからです。

チームを成す事で cash in を最大化しつつ、プライベートでは副業で別収益も持つ。これが理想です。そうでもしなきゃ、これからこの国では生きていけません。30年後の日本(もう無いかも?)を冷静且つ真剣に考えれば1つの企業に収益源もキャリアも拘束されてしまう事はリスクなのです。常に複数の人生戦略を持たないと。経営者がこんな事を言うのはおかしいですけどね。でも時代がそう言ってる。誤解を恐れずに言えば、企業の意義、それは is “生活給の支給源” という意味付けから変化して、1人では到底成し得ない事を成して生き続ける力と経済価値(今は貨幣)を皆で効率よく得る事のできる価値生産効率の高い「主業」を手にする組織であるという事にあるのです。

 

またまた長文エントリになってしまいました。「企業とは」に絡みそうな話題は書き始めるとどうしてもアツくなります。このへんにしておきましょう。今回は副業について書いてみましたが、またの機会にその根拠たる「信じる」経営が他にどんな制度となって現れるか、そしてそれら制度にどんな哲学を投影させているか具体的に書いてみたいと思います。