僕がまだ青二才なサラリーマン時代、ホントによく怒る上司がいました。その上司の部下になると社内で同情されるぐらい。中途入社した人間のうち「怒られても一番打たれ強そうやから」という凄い理由(実際は全然そんなことないw)で配属になった僕は、そりゃまぁ色々怒られまして…。
中でも印象に残ってるのが給料の出処(でどころ)についての説教。
「自分の給料がどこから出ているか分かってんのか?」
何でそんな話になったかはもう覚えていないのですが、恥ずかしげもなく
「えっと、会社です」
と答えた事だけは記憶しています。過去の自分の甘さが本当に情けない限りですが、案の定その時は、
「違うわ!お客様やろが!(ガミガミガミ….)」
と怒られた訳です。まぁ普通にキレますよね、こんな回答。今改めて考えると自分は有り得ない回答をしていたと思います。
銀行口座のどこからどこにお金が動いているかを考えると確かに「会社から」だけど、言ってる事はそうじゃなくて。お客様の血と汗と涙の結晶である大事なお金を、所属する「会社」という組織を通して受け取っている訳なので、お客様と自分は繋がってるわけ!お金を受け取っている以上は責任を果たす!質を高める!スピードを上げる!お客様に感謝する!期待に応える!むしろ超える!そういう意識を持て!常に常に常にお客様の事を考えろ!と。
20代半ばにもなろうかというのに認識足らずな僕に教え諭してくれたのです。一方で、盲目的にお客様は神!というスタンスでもなく、理不尽な事には例えお客様でも仲間やパートナーを守る為に「否」を突きつける必要がある事と、その方法として「論理的にキレる」手法を教わりました。バランスなんですよね、バランス。今はその元上司に本当に感謝してます。
で。
翻って昨年、色んな御縁でお金の事をひたすら考える機会に恵まれまして、自分を育ててくれた上司とのやりとりを思い出しながら、もう少し先を考えてみたんですね。会社に属する人間の給与または役員報酬は、会社ではなくお客様が出処である事は当然だ。今は痛いほど分かる。じゃ、
そもそも何故、お客様から自分の手元にお金が動くのか?
お客様の血と汗と涙の結晶であるお金が何故、自分の財布に入ってくるのか。それを真剣に考えてみました。仕事をしたから….ってな深みの無い視座の低い答えじゃなくて、商取引の登場人物と現場に発露する感情を整理して、言語化や法則の導出をし、論理的な説明が組み立てられないかな…と。
で、考えてみて得られた(と自分で思った)のが、
「面倒臭さ」は直接的または間接的に「お金」と兌換性がある
って法則です。
通貨以外に兌換性(だかんせい)という言葉を使う事は余り無いですが、これが一番適当だと感じたのでそう表現してます。まぁ言い換えると単に面倒臭い事からお金は生まれると言ってるだけで、当たり前の事なんですけどね。でも、「面倒くさい」という人の感情発露を如実に「現金」そのものであるという意識を持つ事は結構重要だなと思い至った次第です。だから兌換。
この法則で、(特に仕事で)「面倒臭い」と言う人が絶対に金儲け出来ない事を論理的に説明が出来ます。
納税や罰金など法的強制力のある所得移転や善意による寄付を除けば、お金が動く所には必ず「面倒臭い事」や「面倒臭いという感情」が絡んでます。
タクシーで運賃を払うのは歩くのが面倒臭いから。ガソリンにお金を払うのは産油国で油を採ってタンカで運んで精油するなんて有り得ないぐらい面倒臭いから(そもそも出来ない)。米にお金を払うのも、ソフトウェアにお金を払うのも、セミナーでお金を払うのも、衣類にお金を払うのも、ネットで物を買った時に送料にお金を払うのも…全て面倒臭いからです。
面倒臭いことや、面倒臭すぎて到底出来ないこと等を解消するという価値にお金を支払う訳です。これらは直接的な兌換と言えます。「面倒臭い」がそのまま「お金」に変わる。
一方、楽しいから、面白いから、そういう理由でお金を払う事もありますね。面倒臭さの解消…というのとは少し違う。でも「楽しい」や「面白い」という感情や感想が発露する背景には、その提供者による「面倒臭い」ことの積み上げがある事を色んな例は教えてくれます。
例えば、ディズニーランド。あの夢の国を維持するのにどれだけ「面倒臭い」事が行われているか。クルー教育の半端無さは誰しもが知る所ですね。そんな積み上げがあるからこそ、楽しくて面白くて。だから、お金は入場者の財布からオリエンタルランドの財布に移動する。
例えば、CAPCOMのモンハン。面倒臭い事の多さは半端ありません。開発現場では24時間ゲーム内の壁にぶつかり続けて不具合が発生しないかテストすると言います。また、どんなゲームも例外なくゲームバランスの調整に多大な時間が費やされているのはよく知られた事です。でもそんな面倒臭い事の積み上げがクオリティの高さと楽しさを生み、結果、ゲーマーの財布から開発元の財布にお金は移動します。
提供者側の「面倒臭い」ことの積み上げが価値を生み、誰かがそれでhappyを感じて所得移転する。これは、直接的ではなく、間接的な兌換です。「面倒臭い」は間接的に「お金」に変わる。
他にも、競合する製品群がある時にその中の一つが選ばれて購入されるのも同じく「面倒臭い」事の間接的な兌換です。品質を担保する為に、特長あるサービスにする為に、真似できない技術を搭載する為に、七面倒臭い事の積み上げがある訳です。面倒臭い事の積み上げは差別化やブランド形成に繋がり、その製品をまた使おう、その会社や人物にまた仕事をお願いしようって思わせる根拠となります。
直接か間接かの差異はあれど、「お金」は「面倒臭い」事をより多く(正しい方法で)した人の所に移動する。ある人や会社の財布から別の人や会社にお金が移動する時には必ず「面倒臭さ」に裏付けられた「何か」があります。
「面倒臭い」はどこかで必ず「お金」に変わる。もし変わっていないとしたら、「お金」に変わるまでの過程のどこかで「面倒臭い」ことが正しく行われていないからかも知れません。技術が良くてもモノが売れないのは売れる仕組みづくりという「面倒臭い」ことが出来ていないからだ….とコンサルの方は言ったりしますよね。
極端な話、オレオレ詐欺だってこの法則に従ってます(間接的な兌換)。昨年末話題になった 母親がオレオレ詐欺の被害者になりました。 というエントリを読まれた方も多いと思いますが、これもどうやったら疑われず人を騙せるかを試行錯誤の上で緻密に検証を繰り返した「面倒臭い」の積み上げがあってこそであり、それを筆者は「人から金を騙し取る仕掛けが、よく研究されています」と評し警告しています。
著名なネットウォッチャーである @otsune さんの伝説的な発言からも同じ事を読み取れます。
n-clickを1-clickにすると商売になる。1-clickを0-clickにすると革命になる
nが1になって商売なのですから、「面倒臭い」=「お金」ってことを示唆していますよね。何回もクリックしなくちゃいけない事を1クリックで済むようにする事は、「面倒臭い」の解消の典型であり、「面倒臭い」が「お金」に変わる直接的な兌換である訳です。
ウチの会計/税金面を全部見てくれている会社に作って貰っている源泉徴収書、
全員分の源泉徴収書の束に付箋で保護し、その上からゼムクリップで止めています。社員にとっては大事な源泉徴収書という書面、一番上のものと一番下のものにクリップの型が残ってしまわない為の気遣いです。1アクション増えるのですから普通に考えて面倒臭い。でもこういう面倒臭い事の積み上げが差別化要素となり人の感情を動かして「お金」を生む。景気が「気」からなら、お金の移動もまた「気」からなのです。
誰かが「面倒臭い」と思うならそれをやる事は「お金」を生み出します(直接的な兌換)。自分が「面倒臭い」と思うこともそれをやりきったり代替案を考えたりする事で「お金」を生みます(間接的な兌換)。まだ世に顕在化していない「面倒臭い」に気がつけば膨大な「お金」を生み出します(直接or間接的な兌換)。
事業を自らやっている人には、そんなふうにしてお金が集まりますし、組織に属している人には、そうやって組織に入るお金が結果的に自分のお金として入ってきます。
兌換性があるという事は、「面倒臭い」=「お金」って事。だから、何か依頼された事に対して、あるいは自分が何かやろうとする事に対して、「面倒臭い」と言って思考停止したり避けようとしたり行動をおこそうとしない人や会社には絶対に「お金」は集まりません。儲ける事が出来る筈もありません。だって生まれようとする「お金」が単に姿を変えているだけの「面倒臭い」を自ら拒絶している訳ですから。入ってくるお金を捨てているようなもんです。そういう人や会社は、せいぜい、兌換プロセスでお金をOUTPUTする側に回るだけで、INPUTの側になる事は決して無いでしょう。
著名な人や企業の成功ストーリーで「当初、決してNOと言わなかった」というエピソードが必ずと言って良いほど含まれるのは、そういう事なのだと思います。
人様のはもちろん自分のでも良い、とにかく「面倒臭い」という感情が発露したならそれは「お金」そのものであるという意識を持ってみる、「面倒臭い」と言う事を禁止してみる、そうする事で組織や人はもっと「お金」を手にする事が出来るんじゃないか。ナポレオンが「余の辞書に不可能の文字はない」と言ったとされるように、自らの辞書から「面倒臭い」という文字を消し去ってしまう気概がお金を惹き寄せるんじゃないか。
昨年、面倒臭さの兌換性の法則に思考が至って意識し続けて過ごした事と、昨年末で終えた第7期を増収増益(売上100%増)という結果で終えられた事とは、決して無関係では無いと考えています。「面倒臭い」という感情の発露は「お金」に変わる前の仮の姿。そういう捉え方をすると、気がつけばお金達は自分に向かってきてくれるんじゃないでしょうか。
という事で、面倒臭さの兌換性について書いてみました。ちょっと長くなり過ぎたので、もう一つ書きたかったこと、「面倒臭い」が「お金」に変わる時の「兌換率(レート)」についての気付きは、また改めて書いてみたいと思います。